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沖縄の本土復帰50年、勉強会に参加しました

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匹田くみこ(匹田久美子)「沖縄の本土復帰50年、勉強会に参加しました」画像

沖縄の本土復帰50年。

仲間と一緒にzoomでの勉強会に参加しました。 

 

1972.5.15の琉球新報には「変わらぬ基地 続く苦悩」という見出し。

 

50年が経った今でも、国全体の7割以上の基地が沖縄にある(本土にあった基地は住民の反対運動でどんどん沖縄県に押しつけられてきた)。

 

本土決戦の時間稼ぎとして激烈な地上戦に巻き込まれた沖縄・・・

当時4人に1人が命を失くしました。

 

戦争が終わっても米軍施政権下で人権も地方自治もないがしろにされてきた。

事件や事故も多く乱暴されることも多かった、にもかかわらず、フェンス(基地)の中に逃げ込めば裁くことさえできない。

 

沖縄が求めたのは、基地の撤去と真の平和。県民主体の地方自治。県民本位の経済開発。

要は日本国憲法の下で保証される当たり前の安全で安心な暮らし。

 

戦争は突然起きるわけではない。

 

国家第一主義(コミュニティのために個人の尊厳が踏みにじられるようなことの先にそれがある)が台頭してくることが決してないようにしたい。

 

沖縄が好きという人はわたしの周りにもたくさんいますが青い空と海だけのイメージだけではなく、基地問題も一緒に考えてほしい。

 

 

わたしも精一杯考えたいと改めて思いました。


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コメント: 1
  • #1

    徳丸憲弘 (月曜日, 16 5月 2022 21:54)

    アメリカが沖縄を帰してくれたらだけ良いと思わないと行けませんね。
    ロシアは、北方四島を帰していません。
    今回のウクライナなの様に、ロシア軍が攻めてきたら自衛隊では、1週間も持ちません。
    アメリカがいるのでロシア軍も中国軍も攻めてきません。
    国連の安全保障理事会で核の廃絶では、世界で日本国だけか唯一の被爆国ですが賛成をしません。
    それは、日本がアメリカ軍から守られているからです。
    もし、ウクライナが核爆弾を持っていましたら、ロシア軍は攻めてはこなかったでしょう。